
今日の沖縄・浦添は雲が広がりつつも時おり日差しが差し込む天気で、気温は26〜30℃前後、湿度は95%前後と、肌にまとわりつくような蒸し暑さが続いています。梅雨の終盤に入った沖縄では、急な雨や気温の上下が続きやすく、体力を消耗しやすい季節です。今日6月23日は「慰霊の日」。沖縄・浦添の季節の空気の中で、午後の暮らしと平和への思いを静かに記録していきます。
沖縄・浦添の午後の天気と季節の空気
母をデイケアに送り出したあと、ゆっくりと食器を片付けてからパソコンに向かいました。午後の浦添は、雲が広がりつつも時おり日差しが差し込む不思議な空模様。気温は30℃前後、湿度は95%近くまで上がり、窓を開けていても空気がまとわりつくような蒸し暑さです。
梅雨の後半、沖縄・浦添では晴れ間が増えてきた分、地面に蓄えられた熱気が午後になってぐっと上がってきます。梅雨明けが近づくこの時季は特に、こまめな水分補給と室内のエアコン管理が大切です。高齢の家族と暮らしている場合は、本人が暑さを感じていなくても、室温のこまめなチェックを心がけると安心です。
慰霊の日の午後に思い出す、沖縄の記憶
今日は6月23日、沖縄では学校も休みになる「慰霊の日」。子どもの頃、この日は遊びに行く日ではなく、静かに仏壇に手を合わせ、平和について考える日でした。先生が絵本や紙芝居で戦争の話をしてくれたことを、今でも覚えています。
沖縄ではほとんどの家庭に、戦争で亡くなった親族がいます。私の父の姉、つまり私にとっての叔母も戦争で亡くなりました。平和祈念公園の「平和の礎」には、その名前が刻まれています。父が元気だったころ、何度か礎へ連れて行きました。慰霊の日は人が多いので、いつも時間をずらして、落ち着いた頃に訪れていました。車いすを押しながら時期をずらして訪れる家族の姿も、何度か見かけたことがあります。
子どもの頃に見た防空壕と、父が語った記憶
小学生のころ、学校の裏手にある山に防空壕があり、友達と入ったことがあります。中は子どもが立って歩けるほどの広さで、割れた食器が端に積み上げられていました。
数十年後、父が70歳を過ぎたころ、その話をすると「それはわしらが小学生のころ掘らされた防空壕だよ」と教えてくれました。当時の子どもたちは「日本は勝っている」と教えられ、なぜ防空壕を掘るのかもわからないまま、毎日のように作業をしていたそうです。やがて空にはアメリカ軍の飛行機が飛び交い、逃げ惑う日々が続き、父は捕虜として収容所で暮らした後、元の場所へ戻り、再び学校に通い始めました。普天間中学(現在の普天間高校)の3期生だったと話していました。
戦後の暮らしと、母が語る「本当の苦しさ」
父は戦後も生活の基盤を築くのに苦労し、人に騙されて借金を背負うなど、苦しい時期が続いたようです。母はそんな父を支えながら家を守ってきました。
母は今でもよく言います。「戦争中はまだご飯が食べられた。戦争が終わってからのほうが食べるものがなかった」と。他の人の話を聞いても、戦後のほうが食料の確保が難しく、生活が厳しかったという声が多いです。平和の形は時代によって変わりますが、その平和の裏に数えきれない犠牲があることは、沖縄・浦添に生きる私たちが忘れてはならないことだと感じます。
まとめ:沖縄・浦添の午後に、静かに平和を思う
蒸し暑い梅雨の午後、慰霊の日の沖縄・浦添で過ごしたこの時間。父や母の記憶、子どもの頃に見た防空壕、そして平和の礎に刻まれた叔母の名前。沖縄の季節の空気の中で、改めて平和の尊さを感じる一日でした。
今日の一言:静かな午後にこそ、忘れてはいけないことがある。

